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 当財団は「静岡県民の社会運動史」編纂作業を行っていますが、編纂委員の一人である小池善之さん(静岡県近代史研究会)が、日本社会党の戦後の資料を調査中、当時の日本社会党の下川儀太郎県議が、米軍の富士山接収計画の事実を突止め、1952年の県議会で追及した事実を発見し、昨年の12月12日静岡第一テレビの取材を受け放映されました。小池さんは県・市・町の委嘱を受け、自治体史などの調査編纂に携わっています。

米軍が富士山接収を画策

 戦後間もない時期、富士山を米軍が接収すると云う案が浮上し、それが静岡県議会の大きな問題となりました。米軍は東富士演習場の拡張を求め、標高1,000m以上の富士山の接収を画策し、富士山頂を含め1万7500町歩という膨大な土地を軍事演習場にしようとしたのです。1952年(昭和27)4月28日「サンフランシスコ条約」が発効。同時に日米安保条約とそれに基づく日米行政協定も発効しました。それにより今日の米軍基地の不当な存在が永続することになります。

米軍が富士山接収を画策

1952年5~6月にかけての県議会で、下川儀太郎県議(静岡市葵区瀬名川在の文人政治家)は、県議会で「この富士山麓より、富士山頂におよぶ演習地使用の問題は、単に静岡県民の問題ばかりでなく、日本民族の精神的な支柱を失う事になり、このまま黙って見過ごすことはできない」と質問しました。斉藤寿夫知事は答弁で「今は米軍の意向を伺っておるということであります」と答弁しました(当時の県議会議事録による)。この県議会では吉田茂総理に対し、「行政協定に基づき富士裾野演習場拡張反対についての意見書」を満場一致で可決しています。

米軍が富士山接収を画策

 日本が独立した直後、米軍が富士山を接収しようとしたことは驚きであり、記憶に止めるべきことです。特に世界遺産になったばかりですから、こういう事実は明らかにしておかなければなりません。米軍は結果的に富士山頂接収案を撤回し事なきを得たましが、東富士演習場ではいまも米軍が訓練をやっています。強い反対が無ければ、富士山を標的に実弾砲撃訓練を行っていたのではないでしょうか。「この経過を強く記憶に止めておくべきだ」と小池さんは語っています。(第一テレビの放映から採録しました)


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