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「原水爆禁止運動と日本社会党」の主な内容

 1954年3月1日、静岡県焼津漁港に所属するマグロ漁船・第5福竜丸とその乗組員は、米国が太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験により発生した「死の灰」(放射性粒子)を大量に浴びた。広島、長崎に続く日本国民3度目の被爆であった。これをきっかけにはじまった署名運動は全国・全世界にひろがり反核世論を高め、米国の安全保障戦略を制約するほどに巨大な政治的エネルギーを発揮していた。

 こうした反核世論を組織・動員するうえで日本の原水爆禁止運動が果たした役割はきわめて大きかった。しかし、日本の原水禁運動はその後次第に党派的分裂をくりかえし、その歴史的使命を十分に果たすことができなくなる。そこで、(1)当時の原水禁運動が国民運動としていかに広く深く発展していたのかを、静岡県をフィールドに確認する。そして、(2)それにもかかわらずなぜ運動は分裂したのか、その要因をとくに日本社会党の原水禁政策と運動の中に探った。

PDF 第1回 原水爆禁止運動と日本社会党
静岡大学教授 橋本 誠一 (PDFファイル 447KB)≫

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