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第15回 農民組合の旗を掲げてー戦後静岡の場合

 本稿は、社会民主党静岡県連合に保存されていた戦後の農民組合資料を活用して、農民組合の組織と運動の動きを叙述しようと試みるものである。ただし一定の時期のものしか資料が残されていないので、その記述は短い時期を対象としたものとならざるを得ないことをまずお断りしておく。
 一般的に、戦後の農民運動(史)については、農地改革期については言及されるが、それ以降が叙述されることはほとんどない。それはある意味で当たり前で、要するに運動がないから書きようがないのである。『静岡県史』の通史編(近現代二)を繙いてみても同様である。戦後初期の社会諸運動の一つとして農民運動があり、叙述されている項目は「農民組合の結成」、「小笠郡の運動状況」、「日農静岡県連の結成とその分裂」であり、それらは農地改革期の動きである。そしてそれ以後、農民運動独自の記述はない。
 農地改革によって農地解放が行われた後、何故に農民たちの運動はなくなったのか。農民たちの獲得すべき課題はなくなってしまったのだろうか。
 農民運動史の研究者である西田美昭はこう語る。「一時期、300百万くらいの農民、50㌫を越える農民が農民組合に入ったという時期が戦後にあるんですが、その後急速に衰退していく。・・(中略)・・つまり農民経営を発展させようと思っている時期の農民運動の積極的な性格、そして農民経営がもはや発展の見込みがない時期における運動の衰退という関連がみられる」と。すなわち、西田の説明を援用すれば、農地改革以後は「農民経営がもはや発展の見込みがない」と農民たちは考えるようになったというわけである。戦後の農業政策を追跡していけば、農民たちにそういう考えをいだかせたものは確かに存在する。それは日本の経済政策の一環としての、端的に言えば農業切り捨て政策であるが、それについて詳しく説明する紙数はないので、本稿では農民組合の動きとともに、そうした政策に最低限触れていくつもりである。

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